プライベートな作品群です。テーマはいつでも「ある日ある時」。距離や時間に関係なく、旅の断片を切り取るスタイルが好きです。発表するときには写真展であってもかならず1冊の本を作ります。それが撮影したときの気持ちを伝えるいちばんしっくりくる方法だから。写真展はそのページを見開いたイメージで、自分にとっての作品の最終形はいつもBOOKなんです。
今ではすっかり忘れてしまっているけど、子供のころに恐ろしく感じたりもの悲しく感じた物や場所に引きつけられた。いい大人になってもそのカケラはまだ見つけられる。
遠く離れた町どうしを最短で結ぶ。道東の道はそんな実用から生まれた道
ただただ遠く隔てられた地を繋ぐための真っ直ぐな道に、つながりたいという強い想いを感じます。
面倒をみてあげているのか、世話をさせてあげているのか。
かわいがっているのか、かわいがらせてあげているのか。
大きな顔した小さなケモノがいる日常。
コロナ過のさ中衝動的に海を見たくなった。
北海道の太平洋沿岸はそっけなくて愛想がないけど、疫病の増減に一喜一憂しながらどこか頭の中に重りが乗っているような日々に山に住んでいる動物がミネラルを捕るために海水を舐めに行くようにいちばん近い海でも50㎞離れている内陸の住人も気持ちを静めるには海が必要だった。
旅立ちを思いつくのはいつもベッドの中だから天気はその日の運まかせ。
あとはクルマで家を出るだけだからスタート地点も決めていない。
決まっているのはふだん出番のないスクエアフォーマットのフィルムカメラを使うこととフィルム2本(24枚)を撮り終えたらそこをその日のゴールにすることだけ。
おいしいラーメン屋はスープが無くなったら閉店なのだ。
特別なことが何もなく、今日一日が平凡に過ぎてゆく。
記憶に残ることもないそんな日々が続くことは、実は奇跡の連続なのかもしれない。毎日はとてもいとおしく儚くもろい。東日本大震災の前後に訪れるようになった長崎はいつでもこの気持ちを思い起こしてくれる場所です。
はじめて長崎に着いた翌朝、ひなたぼっこをする猫に通勤中の人たちがひとり、またひとりと挨拶していく光景に出会いました。町行く人たちが猫に声をかける。すてきな町だなと思いました。そんな人間たちの思いをまったく意に介さない猫たちの奔放さもとても好きです。
コロナ前、十数年ぶりに真夏の東京に行く機会があり、久しぶりにフィルムカメラを持って歩きました。すっかり道産子になった躰にはこたえる暑さで、歩みも気だるさと道連れでした。旅の目的が写真の手ほどきをしてくれた恩人の見舞と大学の写真仲間との同窓会だったこともあって、どこかセンチメンタルな気分があったのかもしれません。(2023)
ブローニーフィルムのトイカメラを手に入れました。1950年代にフジフィルムが販売したもので、総プラスチックボディの超軽量、まるで「中判写ルンです」といったところでしょうか。まるで持っていないかのように軽いホールド感と、範囲があるようで無い素通しのファインダーを覗きながら撮る写真は心を解き放ってくれる自由さがありました。(2023)
十勝開拓の祖「晩成社」。依田勉三はそのリーダーでした。この作品は足跡をテーマとしたグループ展のために撮り下ろしたもので、依田勉三をオマージュしたものです。彼の日記にある、海に近い住居から帯広の晩成社までの約70kmを一日で歩いたという記述にならって、本人も歩いたであろう太平洋沿いの砂浜で撮りました。勉三もこうして朝日を眺め足を止めたであろうと想いをはせて。(2023)
子供のころ祖父母の家は葛飾区にあって、小田急沿線に住んでいた自分は新宿から黄色い電車に乗って行くのが常でした。薄暮時にその車窓から見る沿線は電車と同じ高さにビルの窓があり、たくさんの窓の中にそれぞれの暮らしや人生が見えては消えてゆく様子をずっと眺めていました。なぜかはわかりませんがそんな時はちょっと不安で悲しい気持ちになったことを出張先のHOTELで思い出し、翌日それを確かめるためだけに秋葉原―新宿間を往復してみました。 子供のころの感覚はあまり感じませんでしたが、それでもどこかにくすぶっているような気はしています。
2004~2007にかけてWRCが十勝で開催されました。最初の2年は個人的に観戦がてら撮影をしていましたが、2006年にはNクラスのチームに密着取材する機会がありました。撮影依頼は車載PCのメーカだったのでパドックでの撮影がメインでしたが、普段知ることがないレースの裏方の世界は驚きの連続で、華やかなセレモニーとTEAM全員でコンマ1秒を競うストイックさのコントラストが強く印象に残りました。
東京出張の最終日、気になっていたフォトフェスティバルの展示を見に東京駅から日本橋界隈を半日巡りました。一帯は新築ラッシュでエッジの効いたビルが天に向かって伸びていますが、足元には思いがけないほど変わらないものも残っていて、歩いていると過去を振り返ったりしてちょっとセンチメンタルな気持ちになりました(そういう年齢になったということなのかもしれませんがw)。
ライフワークにしている長崎行脚も6年間空白が続きましたがようやく再訪できました。間が空いたことで気付いた変化と変わらないものの数々。毎年のように行っていたころには感じなかったものに気付けた発見の旅となりました。 今回は今までにない4月の旅でしたが、滞在中に夏日の日もあり温暖化も実感することに。もはや懐かしさを感じるこの地ですが、やはりこの空気の中に身を置くと心も体も解放されるのを実感します。
古いHDを整理していて見つけた田中眠さんの野外舞踏の公演。2月の厳寒期の十勝での野外舞踏で気温は-10°くらいでしたが、強い地吹雪の中観客は皆重装備。そんな中を舞踏家は薄い衣で数十分間舞い続けました。強烈な印象というよりは、本当だったのか幻だったのか判然としないような記憶として残っているのは、舞踏家のまるで寒さも風も無いかのように当たり前にそこにいた姿を見ていたからかもしれません。